これの選手です。
ご尊顔
では能力
牛島 和彦
1980~1993年
ポジション:投手 投打:右投右打
経歴:浪商高等学校→中日ドラゴンズ→ロッテオリオンズ(&千葉ロッテマリーンズ)
【通算記録】
395登板(内68先発) 905回0/3 3.26 勝率.453 53勝64敗 -H 126S
完投17 完封1 奪三振746(率7.42) 四球391 死球12 四死球率4.01 暴投17 被本塁打95(率0.945) 被安打807 失点374 自責点328 WHIP1.32
【キャリアハイ】1987年
41登板(内0先発) 55回2/3 1.29 勝率.333 2勝4敗 -H 24S
完投0 完封0 奪三振59(率9.54) 四球16 死球2 四死球率2.91 暴投1 被本塁打6(率0.970) 被安打46 失点24 自責点23 WHIP1.11
中日、ロッテで活躍したクローザー。牛島和彦選手です。
1980年に中日ドラゴンズに入団。高校時代から高校球児でありながら悪童として名を馳せており、入団直後はリーゼント。闘将星野仙一から"指導"を受けたという説があったり、罰金覚悟で寮を抜け出したりと結構破天荒な行動をしていたりした。
しかし、投球に関しては真摯だったのか入団直後、稲尾コーチの「9回裏満塁2死フルカウントから何を投げるのか」という質問には「わからない。それまでにどういう投球をしてきたのか、点差などで大きく変わってくる」という組み立て式の投球をしていた。
このエピソードは漫画などでもよく使われている。(らしい by Wikipedia)
入団2年目から中継ぎとして活躍し、1984年は自己最多の29セーブを挙げ最多セーブ投手となるなどクローザーとして活躍。
しかし、1986年オフに落合博満を獲得するために中日ドラゴンズはロッテと1対4のトレードを敢行。その4人の中には牛島も含まれており、ロッテに移籍することに。
移籍1年目の1987年は防御率1.29 24セーブを挙げて最多セーブ投手に。翌年も防御率は悪化したものの25セーブを挙げて同じく最多セーブ投手に。
翌年の1989年には先発に転向。12勝5敗 3.63という活躍をしたもののその後は大きな活躍は出来なかった。1993年をもって引退。
引退後は野球解説者として活躍していたが、2005年に横浜ベイスターズの監督に就任。1年目にはAクラスへと導くものの翌年は成績が悪化し引責辞任。
しかし、この間にマーク・クルーンを発掘。コントロールの悪い選手であったものの、牛島の指導により改善。横浜のストッパーとして大いに活躍することとなるなど審美眼は強い。
現在は野球解説者の傍ら野球学校や社会人・大学野球の指導も行っている。
査定について
1987年の記録を中心にやっています。
基礎能力
おさーるDATA BOXより140キロ中盤~後半とのことから147km/h。
スタミナは投球回が2回などが多かったものの回またぎ○により補填した方がいいと考えたためこのあたりに落ち着いた。
変化球
決め球であるフォークを6に。カーブは3。あと1球種と思っていたが、デフォルトであったスライダーを採用し2に。総変化は防御率が良かったため11に。
特殊能力
対ピンチB:対ピンチ判定表より。
打たれ強さC:イメージより。
回復C:登板数より。そこまで多くない印象だった。
キレ○:フォークのキレが良かったとのことから。付けなくてもよかったかもしれない。
回またぎ○:スタミナの欄を参照
一発:被本塁打率が1近いことから。コントロールもそれなりにあるのでちょうどいいと思った。
高校時代のヤンチャ具合がうかがえる画像
流石に怖い…。
画像ファイル
パワプロ2018で使用可能。
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