これの作り直しです。本日始球式を務める選手なので再作成。
ご尊顔
では能力。
板東 英二
1959~1969年
ポジション:投手 投打:右投右打
【通算記録】
435登板(内103先発) 1220回2/3 2.89 勝率.542 77勝65敗
完投21 完封7 奪三振748(率5.52) 四球332 死球24 四死球率2.62 暴投30 被本塁打102(率0.752) 被安打1091 失点457 自責点392 WHIP1.17
【キャリアハイ】1965年
55登板(内8先発) 156回1/3 2.25 勝率.632 12勝7敗
完投0 完封0 奪三振87(率5.01) 四球45 死球3 四死球率2.76 暴投3 被本塁打11(率0.633) 被安打120 失点47 自責点39 WHIP1.06
本日、始球式を務める板東英二選手です。みなさんご存知のゆでたまごの人です。
高校三年生の春季四国地区高校野球大会で高知商業戦を延長16回、翌々日の高松商業での試合でも25回延長を両試合完投。合わせて41回を投げぬいた活躍は全国で報道され、注目を浴びたが、同時にこの事態を重く見た高野連は延長戦に関するルールを変更。18回までに決着がつかなければ後日に再試合を実施することとなった。*1
しかし、その年の第40回全国高校野球選手権大会の富山県立魚津戦で両投手18回完封を果たし、上述の再試合規定の適用を初めて受ける投手となった。その再試合にて奪三振の大会記録を更新。決勝まで勝ち進んだものの山口県立柳井高校に敗退。大会を通じて83奪三振、1試合25奪三振*2の記録を半世紀以上経った今なお保持し続けている。
1959年に中日ドラゴンズに入団。当初は先発として活躍するも高校時代の酷使からか長いイニングが投げられなくなり中継ぎを中心とした起用となる。
1966年8月26日の巨人戦で中継登板。相手打者をカーブ1球で打ち取り降板するもその後ドラゴンズが逆転したことにより勝ち投手となり、プロ野球史上二人目、セントラル・リーグ、そして日本人として始めての1球勝利選手となった。*3
その後も中継ぎとして手術などを経ながらも投げていたが、1969年を最後に引退。コーチに就任する予定だったが、球団内の人事異動などの影響もありコーチ就任は幻に終わった。
引退後は解説者やタレントなどとして数多くの番組で活躍。一時身辺に問題が生じたために活動を停止することもあったものの現在でも野球解説者などとして活躍している。Youtuberとしても活躍していたが、昨年2月を最後に動画の投稿はされていない。
査定について
前回の査定からズらした部分のみ書きます。
基礎能力
球速は公式査定が151km/hのため、そちらを採用。適当なことをするもんじゃない。
スタミナは回またぎ○があるため減少させた。長いイニングが投げられないこともこれで少しは表現できたと思う。
変化球
流石に総変化9は強すぎたのでフォークを1減らした。特殊能力で上昇させた部分もあるため。
特殊能力
対左打者E:「ルー・ジャクソンとデーブ・ロバーツ*4(どちらも左打者)が苦手だったとのことから」と書いていたものの得意としていた王貞治も「左打者じゃーん!」となったのでキャラ付けを薄くした。
ケガしにくさE:高校時代の登板過多を加味して。Fはやりすぎだと思ったので
回復B:さすがにAはやりすぎだったので。
回またぎ○:ロングリリーフが可能なように。あとスタミナを減らして長いイニングが投げにくいようにするための補填。
調子安定削除:別段安定していたわけではなさそうだったので。
画像ファイル
パワプロ2018で使用可能。
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