これの作り直しです。本日始球式を務める選手なので再作成。
つーか上の記事のやつはクソです。クソ。
ご尊顔
では能力。
佐々木 主浩
1990~2005年
ポジション:投手 投打:右投右打
経歴:東北高校→東北福祉大学→横浜大洋ホエールズ&横浜ベイスターズ→シアトル・マリナーズ→横浜ベイスターズ
【通算記録(日米通算)】
667登板(内8先発) 851回0/3 1.99 勝率.481 50勝54敗 0H 381S
完投0 完封0 奪三振1093(率11.56) 四球307 死球19 四死球率3.45 暴投50 被本塁打83(率0.878) 被安打567 失点282 自責点246 WHIP1.05
【キャリアハイ】1998年
51登板(内0先発) 56回0/3 0.64 勝率.500 1勝1敗 -H 45S
完投0 完封0 奪三振78(率12.54) 四球13 死球0 四死球率2.08 暴投1
被本塁打1(率0.161) 被安打32 失点7 自責点4 WHIP0.80
1989年ドラフトで横浜大洋ホエールズに1位指名を受け入団。1年目からは先発・リリーフ併用の起用であったが、スタミナに課題の残る選手であった。2年目の途中からそれまで抑えで起用されていた遠藤一彦が故障したために抑えに抜擢。安定した成績を残したために抑えに定着。
その後も抑えとして活躍し続け、最優秀救援投手を何度も獲得し続け1998年には驚異の防御率0.64、45セーブ*1と凄まじい活躍であった。
1999年オフにFA権を行使し、シアトル・マリナーズに移籍。移籍後初シーズンの序盤はクローザーとして活躍するも当時クローザーを争っていたホセ・メサと入れ替わりになることも。しかしシーズン途中からはクローザーに定着。メジャー新人記録となる37セーブ*2を挙げ、ア・リーグ新人王に選ばれた。
その後もクローザーとして活躍し続け、当時の球団新記録となる38セーブを達成するなどしたものの最多セーブには至らなかった。2003年には初の故障者リスト入りとなるも5月には復帰。しかし、6月8日に自宅にスーツケースを運び入れた際に転倒。右脇腹を強打して再び故障者リスト入りをしてしまい、クローザーの地位も長谷川滋利に奪われてセットアッパーに降格してしまった。その年をもって残りの契約を破棄して退団。
翌年は日本に帰国し、抑えとして活躍。しかしセーブ機会以外での登板はしなかったために25試合の登板19セーブにとどまった。
2005年では8試合の登板にとどまり、マーク・クルーンが抑えとして定着していたこともあり戦力構想から外れたため引退を決意。8月9日の仙台での巨人戦で事実上の引退登板。清原和博に投げて三振を奪った。
現役引退後は野球解説者・野球評論家として活躍。そして馬主やモータースポーツにも手を出すなど精力的な活動を見せている。2014年には野球殿堂に選出された。
査定について
全部書いているとアレなので必要そうなところだけ。
基礎能力
球速はMLB時代最速の154km/h
コントロールは四死球率から考えると高すぎるが、見栄えの問題とそもそもフォーク7自体がかなり扱いにくくボールになりやすい球なのでBまで下げなくて良いと判断。*3A80に。
スタミナはそれっぽく。
変化球
2種のフォーク、カーブ、そしてカットボールだが、カットボールのイメージがないことと2種のフォークを再現するために外した。
フォークは7と3。4くらい差があれば違いが出ると判断した。総変化12と決めていたためカーブは2に。
特殊能力
対ピンチB:被打率:.165 得点圏被打率:.127
リリース○:違いがあったらフォークで振らへん
球速安定:後述
一部の特殊能力について
逃げ球がない:1998年に至っては逃げ球をつけないといけない記録ですが、前年の1997年(WHIPや失点率ではこちらの方が上)では0.900と非常に高い数字を出しているため「運が良かったのかな」という判断で抜きました。「全盛期だからだろ!!!」って言われると弱るのですが、WHIPが1997年の方がいいので1997年~1998年を全盛期と考えた結果です。
球速安定:「オリジナル変化球を使わずにどうにかして高速フォークを再現できねえかなぁ」と考えた結果です。これでフォークが早くなる。SFFを使う手も考えましたが「佐々木のフォークをSFFで表現するのはいかんでしょ」という天の声が聞こえたのでやめました。
ストレートのこととか一切考えていない。まあ、動画で見た限り148km/hあたりで球速が安定していたのでいいでしょう。(アカン)
画像ファイル
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