伝説案件です。(伝説案件ってなに?)
今年最初はタイ・カッブ。MLB史上最も偉大な男で始めましょう。
ご尊顔
では能力
タイラス レイモンド カッブ
1905~1928年
ポジション:外野手 投打:右投左打
経歴:デトロイト・タイガース→フィラデルフィア・アスレチックス
3035試合 .366(11434打数4191安打) 724二塁打 295三塁打 117本塁打 1937打点 2246得点 892盗塁(ー)
680三振 1249四球 94死球 295犠打 -犠飛 -併殺 出塁率.433 長打率.512 OPS.945
【キャリアハイ】1911年
146試合 .420(591打数248安打) 47二塁打 24三塁打 8本塁打 127打点 147得点 83盗塁(ー)
43三振 64四球 8死球 -犠打 -犠飛 -併殺 出塁率.467 長打率.621 OPS1.088
※実働期間に犠飛・併殺の記録なし。盗塁成功率は盗塁死不明年があるため算出不可能。
名家の育ちであり、厳格な父の元で育つ。「偽りの道は地獄に通じる。だから、常に正義をふまえ、正直に謙虚にふるまいなさい」という父の言葉通り育ち、17歳のときに友人に誘われて独立リーグに。この際、父からの「追い続けろ」との言葉によりプロ野球への道を進むことに。
翌1904年に地元新聞社に「タイ・カッブが大活躍している」との投書が多数届き、その投書を元に新聞社が記事を書いたことにより評判に。それによって地元マイナーリーグ球団のオーガスタ・ツーリスツがカッブを獲得。MLB傘下に入ることとなった。ちなみにこの投書はカッブによるもの。
翌年にはマイナーリーグトップとなる打率.326を残し、8月19日にはデトロイト・タイガースと契約し、メジャー入りが決定。8月30日にはメジャーデビューを果たすものの打率は.240とメジャーの洗礼を受けた。翌1906年後半からはレギュラーに定着。.316を残し、ここから彼の伝説が始まる。
1907年には打率.350 119打点 49盗塁 ヒットも212本打つなど大活躍。打率・安打数・打点・盗塁はリーグ1位の記録であり、当時の史上最年少首位打者*1に。この打棒でチームを引っ張り、チーム初のリーグ優勝へ導いた。
翌年も首位打者・最多安打・打点王の三冠を獲得。2年連続のリーグ優勝を果たす。
1909年には打率.377(573-216) 9本塁打 107打点 76盗塁 116得点 296塁打 出塁率.431 長打率.517 OPS.948と10部門でリーグトップを果たす大活躍を果たし、MLB唯一となる打撃全タイトル制覇を果たした*2。本塁打は全てランニング本塁打で、これは三冠王唯一の記録である。またこれもまた史上最年少でも三冠王達成である。しかし、このころからラフプレーまがいのプレーが目立つようになり、他球団からの評判は最悪ではあったものの三年連続のリーグ優勝へと導いた。
その後1915年まで首位打者を獲得し続け、1911年にはMLB新記録である248安打*3を記録。打率も.420*4自己最多の127打点も記録し、満場一致でのMVP活躍と自己最高の記録を叩き出した年であった。1914年には肋骨や右親指を骨折するもそれでも首位打者を獲得している。
1915年には当時の新記録である96盗塁も達成*5。
1916年は打率.371を記録するも打率.386を記録したトリス・スピーカーに及ばず、9年続いた連続首位打者記録が途絶えてしまう。
1917年から1919年まで3年連続で首位打者を獲得。1917年には35試合連続安打も達成している。1918年には第一次大戦の影響で徴兵されるも約67日で名誉除隊し帰国した。
1921年には兼任監督に就任。打率.389という記録を残すもチームメイトであるハリー・ハイルマンの打率.394に僅かに及ばず2位。しかしこの二人の牽引によりリーグ史上最高打率.316を記録した。またベーブ・ルースの台頭もあってか自身初の二桁本塁打も記録した。
その後も3割中盤~4割強の打率を残すものの一歩及ばず首位打者を逃し続け、1926年には八百長疑惑*6により監督を解任、タイガースを退団し、フィラデルフィア・アスレチックスに移籍した。
1927年にアスレチックスファンから熱烈な歓迎を受けて移籍。打率.357を残し、史上初の通算4000本安打を達成。翌1928年も.323を記録するものの「ヒットを打てるうちに引退したい」としてこの年をもって現役を引退した。通算4189安打は1985年にピート・ローズが更新するまでMVP記録であり続けた。なお、引退時には90ものMVP記録を保持しており、現在も30を超える記録が健在となっている。
引退後は若手選手を積極的に支援。1936年には野球殿堂入り第一号に輝いた。1961年7月にガンのため74歳で死去。葬儀に現れた球団関係者は3,4人ほどしかいなかったもののこれは家族が事前に断ったためである。
査定について
なお、「通算」と書いてあるものの多くは1925年以降の記録になります。
基礎能力
一塁適正については全盛期に守っていないので除外しました。
高速ベースランの補強としてA87にしていた走力をA82に変更。
特殊能力
チャンスB: 打点王4回より。得点圏打率は存在するものの全盛期を大きく過ぎた1925年以降のものなので無視する。
対左投手E:通算の対左先発打率:.350 対右先発打率:.380 ただし、後年は回復していることなどから間を取った。
送球C:補殺数はあまり参考にならないので下方修正。
ロケットスタート:バント安打を好んだため。
トリックスター:盗塁企図数や走塁に関する様々なエピソードより。
ダメ押し:4点差以上打率.413
満塁男:通算満塁時打率.438
ホーム突入:モーションが明らかにおかしいが、タイカッブならありと判断。
粘り打ち:三振率7.28% 1911年リーグ全体の三振率:12.00%
レーザービーム削除:おそらく不要。補殺数も実働年数によるものなので。
ゲッツー崩しについて
今作からコリジョンルールに伴ってゲッツー崩しが廃止され、プレッシャーランが代わりに追加されました。えー、これは何故か二塁手の悪送球を誘うというもので、タイカッブにいいかなぁと思いましたが、モーションが意味不明なのと普通に使われたらアホくさすぎる(ゲッツーが実質進塁打になる可能性がある)のでやめました。プレッシャーランつきが欲しい人は一番下にあるのでそちらを使ってください。僕は使いません。
画像ファイル
パワプロ2018で使用可能。
画像ファイルの使用方法についてはこちらを参照してください。
その他の選手はこちら
プレッシャーランつき
こちらになります。こちらの画像ファイルを公開するつもりはないので申し訳ないですがパワポイントを消費して使用してください。
*1:1955年にアル・ケーラインが1日差で更新。これ以上の記録が見当たらないのでおそらくこれが史上最年少首位打者記録
*2:NPBでも打撃全タイトル制覇は存在しない。1995年にイチローが本塁打以外のタイトルを制覇したのが最高と思われる
*3:1922年にロジャース・ホーンスビーが250安打で更新。現在は2004年にイチローが叩き出した262安打が最高
*4:細かく言えば.4196。ジョージ・シスラーが.4198を1922年にたたき出しているので一応
*5:1962年にモーリー・ウィルスが104盗塁で更新するまでシーズン記録であり続けた
*6:結果的に八百長と認められる事実も理由もなく、ある選手の私怨により仕組まれた事実であると認識されている
*7:選手記事ではなくその前にやった査定記事に飛びます