今朝の続きです。
今回は広岡達朗の…60年あたりを意識して
ご尊顔
では能力
広岡 達朗
1954~1966
【通算記録】
1327試合 .240(4513打数1081安打) 167二塁打 39三塁打 117本塁打 465打点 603得点 115盗塁(.669)
780三振 410四球 39死球 77犠打 27犠飛 84併殺 出塁率.307 長打率.372 OPS.678
【打撃キャリアハイ】1954年
112試合 .314(341打数107安打) 19二塁打 2三塁打 15本塁打 67打点 58得点 9盗塁(.692)
49三振 54四球 4死球 2犠打 4犠飛 5併殺 出塁率.409 長打率.513 OPS.923
ルーキーイヤーに好成績をたたき出して鮮烈なデビューを果たしたもののこの年をキャリアハイとして打撃成績を残すことは出来なかった。
しかし1958年オフの日米野球でアメリカの二塁手ドン・ブラッシンゲーム*1の守備に目を奪われて打球に対する準備を心がけるようになり、元々定評のあった守備に磨きがかかった。
一方で打撃成績はその後も向上せず、1964年には当時の監督である川上哲治とサインプレーを巡って対立。ルーキーイヤーの舌禍も手伝って翌1965年から出番が減り、1966年に現役を引退した。なお引退年には雑誌を通じて巨人への意見記事を寄稿したこともあり、大きな騒ぎを引き起こした後の引退であった。
引退後は渡米してアメリカの野球を学び、指導者として徹底的な管理野球と投手ローテーションを導入するなど日本プロ野球界に多大な貢献を果たすこととなる。
査定について
1959年以降を査定。
基礎能力
弾道は本塁打数などを考慮して3。
ミートは打率が非常に低いのでこんなところで。
パワーは本塁打数を考慮してこのあたりに。当時としては打っているほう。
走力ははルーキーイヤーより若干高めに。
肩力も同様にルーキーイヤーより高めに。
守備は定評があったことからAに。
捕球は「確実な守備」を心がけていたことから大幅に上げた。
特殊能力
チャンスF:本塁打に対して打点が低すぎるため。Gにしてもいいかもしれないほど。
三振:1959年三振率19.64% ただし翌年以降は三振率が下がっている*2
守備職人は比較された吉田義男との対比で敢えてつけていません。
広岡選手2種作成について
今回、広岡選手についてはいつもとの選手と違って2種(ドラフト用除く)作成しています。これは「守備に定評のあった」広岡選手を公開するに当たってキャリアハイであるルーキーイヤーでは再現に適さないと判断したためです。(ルーキーイヤーは守備はそこまで)
特に広岡選手のファンということではない。
個人的にはこちらの守備が上手い広岡選手が本筋です。
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