特に脈絡のない外国人OB選手です。
ご尊顔。
では能力
ドン・リー・ブラッシンゲーム
1967~1969年
ポジション:二塁手 投打:右投左打
366試合 .274(1356打数371安打) 41二塁打 14三塁打 15本塁打 86打点 171得点 13盗塁(.448)
104三振 102四球 4死球 33犠打 6犠飛 15併殺 出塁率.325 長打率.358 OPS.683
【キャリアハイ】1969年
104試合 .279(365打数102安打) 10二塁打 1三塁打 6本塁打 19打点 46得点 5盗塁(.714)
35三振 27四球 2死球 14犠打 1犠飛 5併殺 出塁率.332 長打率.362 OPS.693
日本野球に大きな貢献をした外国人選手、ドン・ブレイザー選手です。
1967年に南海ホークスに入団。本名の「ブラッシンゲーム」はスコアボードに書ききれなかったことから愛称の「ブレイザー」を登録名とすることに。
基礎の反復から生まれる速く正確な守備と安定した打撃でチームに貢献。バント技術にも優れており、主に2番を任されてチームを支えた。
3年間正二塁手を務めたものの年齢もあってか1969年をもって引退。翌年からは選手兼監督に就任した野村克也の願いもあってそのまま南海のヘッドコーチに就任。それまでの根性論がまかり通っていた野球から「シンキング・ベースボール」への転換に非常に大きな貢献を果たし、いわゆる「ID野球」の源流となった。1977年に野村が監督解任したことに伴って退団。
阪神の一軍監督も経験。阪神監督として前年の最下位から4位に引き上げたものの、2年目にルーキーの岡田彰布の起用を巡ってファンや球団と大きく対立したことなどを原因として5月に退団。その後も南海の駐米スカウトを務めるなど日本野球界に関わり続けた。
2005年4月13日に死去。
査定について
3年と短いことに加えてそこまで成績に変動がないので全体を見てます。
基礎能力
打撃は安定してても本塁打は少なかったこともあってそこそこ程度に。
走力はある程度あったと思いますが、年齢のことや盗塁の成功率などを見るとこのあたりに。肩も同様にそこまで。
守備は健在っぷりをそのまま持ってきました。守備をSにするか15秒ほど迷いましたが、Aに。
特殊能力
逆境○:「勝負強い打撃」とのことから。
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