リクエスト案件です。
ご尊顔
では能力。
白武 佳久
1983~1996年
ポジション:投手 投打:右投右打
経歴:佐世保工業高校→日本体育大学→広島東洋カープ→ロッテオリオンズ&千葉ロッテマリーンズ→広島東洋カープ
【通算成績】
282登板(内84先発) 813回2/3 3.89 勝率.500 39勝39敗
完投12 完封3 奪三振716(率7.91) 四球306 死球10 四死球率3.50 暴投20 被本塁打95(率1.051) 被安打761 失点391 自責点352 WHIP1.31
【キャリアハイ】1988年
24登板(内15先発) 109回0/3 2.89 勝率.556 5勝4敗
完投3 完封1 奪三振109(率9.00) 四球40 死球3 四死球率3.55 暴投1 被本塁打10(率0.826) 被安打85 失点39 自責点35 WHIP1.15
広島やロッテで便利屋として活躍した白武佳久選手です。
1983年にドラフト2位で広島東洋カープに入団。当時のカープは投手王国だったこともあって入団から3年間は主にリリーフとしての登板であったが、1986年からは先発登板の傍らリリーフ登板もこなすなど投手王国カープを支えた。
ダイナミックなフォームから繰り出されるキレのある直球と大きく落ちるフォークとのコンビネーションで三振を奪うスタイルで当時でもトップクラスに三振を奪う投手であった。しかし良くも悪くも登板ごとのパフォーマンスにムラがあり、キャリアハイの1988年には14奪三振完封をすることもあれば急な大量失点で負けることもあったことから安定した活躍は出来なかった。
1990年にロッテオリオンズにトレード移籍。移籍後は主にリリーフでの起用で移籍初年度には自身唯一となる2桁勝利を挙げている。しかし1994年からは2年ほど故障もあって1軍での登板はなく、1996年に古巣広島に復帰したのち同年限りで引退した。
現在は球団のスカウト部長として育成のカープを下支えしている。
査定について
1986~1989あたりをざっくり見ました。
基礎能力
球速は140km/h台だったとのことで145km/hに。
コントロールは映像を見る限りそこそこな感じがしたのでこのあたりに。
スタミナは主にリリーフ登板であったことや調子極端などの兼ね合いでこのあたりに。
変化球
フォーク、スライダー、カーブ、シンカーを確認。
しかしカーブとシンカーの記述が少ないことからその二つをオミット。武器であったフォークの変化量を5、総変化8。
特殊能力
対ピンチB: LOB%が概していい感じ。
打たれ強さF:急に打たれだして崩れることがママあるので。
ノビC:角度のある直球も良かったようなので。
奪三振:当時としてもトップクラスの奪三振率を誇っているので。
乱調:急に乱れることから。
余談
1987年10月18日の巨人戦で吉村禎章選手から2ストライク4ボールからホームランを打たれる珍事を経験している。おそらく審判、打者、投手がカウントを間違えたために起こったこと。
ちなみに2018年8月9日の広島-中日戦で鈴木誠也が2ストライク4ボールから二ゴロに崩れており、どちらもカープにとって不利な結果となっている。
特に白武選手と関係なかったりする所感
基本的にキャリアハイとその周辺の年度の記録から選手の特徴を取るんですが、1987→1988年にかけて被打率、被本塁打率、四死球率に大きな変化があったので「なんでやろなー」と思ったんですがリーグが全体として打低に変化しているのでその影響だと判断しました。本塁打が減った原因はわかりませんがボールが変わったとかそういうのだと思います。
ただ本塁打が減った代わりに四死球率が増加している理由がちょっとわからなくて、「ヒットが生まれにくくなった=バットを振るリスクが増加→ボールを見て確実性を上げるようになった」とかかなーと思っています。当時の事情を知る方がいたらコメント欄に書いたりしてもらえると嬉しいです。
画像ファイル
パワプロ2018で使用可能。
画像ファイルの使用方法についてはこちらを参照してください。
その他の選手についてはこちらから!