こんな選手がいたんだ(*^○^*)シリーズです。
ご尊顔
では能力。
梶岡 忠義
1947~1955年
ポジション:投手 投打:右投右打
【通算成績】
299登板(内227先発) 1920回0/3 2.80 勝率.606 131勝85敗 -H -S
完投140 完封21 奪三振652(率3.06) 四球567 死球22 四死球率2.76 暴投12 被本塁打127(率0.595) 被安打1718 失点719 自責点598 WHIP1.19
【キャリアハイ】1952年
38登板(内27先発) 257回2/3 1.71 勝率.724 21勝8敗 -H -S
完投20 完封3 奪三振75(率2.62) 四球68 死球4 四死球率2.51 暴投0 被本塁打9(率0.314) 被安打191 失点61 自責点49 WHIP1.01
戦後のタイガースの主力投手だった梶岡忠義選手です。
戦前から阪神軍から声がかかっており、満州から帰国後に中央工業を経て1947年に大阪タイガースに入団。入団当時はほぼ剛速球のみというスタイルで打者を打ち取り、阪神の主力投手として活躍し、戦後初優勝に貢献。翌年は367回2/3を投げるなどタイガースのエースとして活躍したものの、その酷使が祟って肩を痛めて2年ほど思うような活躍が出来ずに終わる。
キャリアハイとなる1952年は肩を痛めてから投げていたドロップに加えてナックルも使うことで多くの完投勝利を挙げて最優秀防御率も獲得。しかしその輝きは続くことはなく、翌年以降は成績を落として1955年に引退。
引退後も阪神タイガースの二軍投手コーチやOB会会長として古巣の阪神に関わり続けた。
2003年3月23日死去。
査定について
キャリアハイの1952年前後を見ました。
基礎能力
球速は剛速球ということから速めに。ただし肩の故障があるので150km/hにとどめました。
コントロールはそこまで良くなかったと思われるのでDに。
スタミナは結構投げているのでそれなりに。
変化球
縦のカーブ(ドロップ)、シュート、ナックルを確認。
ナックルが珍しいのと1952年はそちらを使っていたようなので採用。あとはドロップで2球種にしました。
特殊能力
対ピンチB:リーグLOB%:68.7% 梶岡LOB%:80.6%
クイックB:振りの早いフォームだったらしい。
根性○:生傷が絶えない全力プレースタイルだったことから。ケガしにくさは肩を負傷していることから上げにくかったためこちらで対応。
闘志:猛虎魂溢れる投球だったらしい。
スロースターター:若干序盤での失点が多いため。
画像ファイル
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