パワプロのこととかを書くブログ

タイトルどおりです。パワプロのことを書くだけです。

【OB・パワプロ2020】小鶴 誠(外野手)※カープ版【パワナンバー・画像ファイル】

急に挟み込まれたOB選手です。

 

f:id:halucrowd:20210612200212j:plain

ご尊顔。

 

では能力

f:id:halucrowd:20210613015042j:plain

f:id:halucrowd:20210613015045j:plain

小鶴 誠

1942~1958年

ポジション:外野手 一塁手 投打:右投右打

経歴:飯塚商業専修学校八幡製鉄所名古屋軍&中部日本&中部日本ドラゴンズ→急映フライヤーズ大映スターズ松竹ロビンス→広島カープ

 

通算記録

1655試合 .280(6141打数1717安打)  267二塁打 62三塁打 230本塁打 923打点 909得点 240盗塁(.745)  

741三振 761四球 10死球 17犠打 18犠飛※ 108併殺※ 出塁率.359 長打率.456 OPS.815

 

カープ初年度】1953年

130試合 .283(488打数138安打)  32二塁打 2三塁打 14本塁打 74打点 80得点 33盗塁(.868)  

57三振 68四球 1死球 0犠打 -犠飛 14併殺 出塁率.372 長打率.443 OPS.814

 

○「※」は記録がない年があるため正確な数字ではない

太字はリーグ最高 赤太字NPB史上最高

 

「和製ジョー・ディマジオ」と呼ばれ歴代シーズン打点・得点を半世紀以上も保持している小鶴誠選手です。

腰の回転を生かしたゴルフスイング打法で1950年の「水爆打線」と呼ばれた松竹ロビンスの3番を打ち、切れ目のない打線から出塁してくる走者をその打棒で帰し、130試合で.355 51本塁打 161打点という恐ろしい成績をたたき出した選手。

しかし同年に椎間板ヘルニアを発症、日本シリーズでは活躍出来ずに翌年以降はこの持病とラビットボールの廃止により成績を落とすことに。それと共に水爆打線を形成した松竹ロビンスも大きく成績を落として当時のセリーグの方針により1952年を最後に解散。

それにより1953年は広島カープに移籍。移籍金は当時の広島市民による樽募金が元で入団時に乗った汽車が深夜到着だったのにも関わらず大勢の市民が出迎えるなど熱烈な歓迎を受けて入団。その期待にこたえるかのように広島で活躍。

ラビットボールの廃止や椎間板ヘルニアの影響でかつてのような圧倒的な成績は出せなかったものの1年間4番に座り続けてチームトップの14本塁打74打点を記録。カープ初となる勝率4割超に貢献した。1958年に現役を引退。

 

1980年に野球殿堂入り。

2003年6月2日に死去。享年80歳。

 

査定について

基礎能力

打撃能力は成績からなんとなく。パワーが高く見えますが当時は非常にホームランが出ない環境であったことからゲタを履かせました。翌年、翌々年の成績も加味しています。

走力は盗塁などから。

肩力はこの年齢もあってある程度衰えていたかと思い、全盛期より下げています。

守備も同様に下げましたが中堅手を務めているのでそれなりに。

特殊能力

チャンスB:チームトップの打点であることなどを加味。

盗塁B:盗塁成功率より

インコースヒッター:内角低めに強かったようであることと死球が極端に少ないので。

かく乱:盗塁数が多いことと得点が多い(味方が返してくれた)ことを加味。

 

 

 

画像ファイル

f:id:halucrowd:20210613015134p:plain

パワプロ2020で使用可能。

画像ファイルの使用方法についてはこちらを参照してください

 

 

 その他の選手はこちら

www.heroin-powerpro.com