ご尊顔。
では能力
奈良原 浩
1991年~2006年
ポジション:遊撃手 二塁手 三塁手 投打:右投右打
経歴:帝京高校→青山学院大学→西武ライオンズ→日本ハムファイターズ&北海道日本ハムファイターズ→中日ドラゴンズ
【2000年成績】
101試合 .256(254打数65安打) 16二塁打 0三塁打 3本塁打 31打点 50得点 14盗塁(.824)
46三振 36四球 0死球 13犠打 2犠飛 6併殺 出塁率.346 長打率.2354 OPS.700
西武から日ハム、中日と渡り歩いた名内野手、奈良原浩選手です。
高い守備能力や俊足を評価されて1991年に西武ライオンズに入団。常にライバルがいるためフル出場とはいかなかったものの自慢の守備や俊足を生かした盗塁、犠打など細かいプレーでチームに貢献。しかし'97年オフに当時の日本ハム監督だった上田利治からの強い要求もあり日本ハムファイターズにトレード移籍。
移籍初年度は自身最多となる128試合に出場するなど出場機会を増やしたものの二塁手には金子誠、遊撃手には田中幸雄がいたことでレギュラーとして絶対的な地位を築くには至らなかった。
2000年は不振の金子やケガで離脱した田中のバックアップを務めながら出場を続けて101試合に出場。投壊にあえぐチームを守備面で支えた。
2006年に中日に移籍。10月10日の試合でT.ウッズが満塁弾を放った後にダメ押しとなる適時打を放って優勝に貢献した。なおこれが中日時代唯一かつ現役最後の打点だった。
現在は楽天の内野守備走塁コーチとして指導に当たっている。
査定について
基本的に成績を見て判断しました。
守備率が結構低いので捕球を下げています。守備率が低くなったのはトレードでドームが主戦場になったからだと勝手に邪推しています。
特殊能力
チャンスF:得点圏打率:.222 翌年は.237に対して得点圏打率.150
参考:ほのかのへや
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