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【OB・パワプロ2022】2000年日本ハム投手詰め合わせ【パワナンバー・画像ファイル】

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2000年日ハムの投手詰め合わせです。
具体的には登板機会が極端に少なかった選手です。

基本的に資料がほぼない状態なのでかなりテキトーになっており、特にテキトーだった部分に関しては【テキトーポイント】として掲載しています。

 

 

ラモン・タティス

登板数1 

 シーズン途中に入団した外国人選手。150km/h近いストレートとスライダーが武器のサウスポー。だったが10点リードというかなり余裕のある場面で登板するも3安打4与四球4失点と炎上。1軍ではその1度きりの登板で日本を去ることとなった。

【テキトーポイント】
投球フォーム

 

櫻井 幸博

登板数7 

 仙台工業から3位指名で入団したものの制球難が響いて出場機会はほぼなし。2000年はシーズン序盤からロングリリーフで起用され、一定の活躍を見せていたものの5月12日の試合で3回10失点と炎上。最終戦まで登板がなく、その最終戦も1回4失点と不信感を拭えぬままシーズンを終えた。以後僅かながら起用されるも制球難が解消されず2005年に戦力外通告&現役を引退。

【テキトーポイント】
変化球 おおよそは把握できましたがどれを積極的に使ってたか不明です。他の候補はカーブとシュート。

 

厚澤 和幸

登板数6 

 94年に逆指名で日本ハムに入団。しかし制球難で四死球をあまりにも出すことから安定感がなく、キャリアのほとんどを2軍で過ごした。一方で2軍では最多勝2回、ノーヒットノーランを記録するなど華々しい成果をあげたものの1軍では結果を残すことはできなかった。03年を最後に引退。
 引退後は日ハムのコーチ、スカウトと歴任し今年からはオリックスの投手コーチで指導に当たっている。

【査定ポインツ】
2軍の成績がメチャンコ良かったらしいのでノビBなど強い特殊能力をつけています。変化量も高めです。
得点圏被打率.600と打数が少ないにしてもアレすぎたのと1軍の実績が2軍と乖離しすぎているので1軍での緊張みたいなものを表すために対ピンチGにしています。

 

吉崎 勝

登板数5 

 ルーキーイヤーとなった2000年は1軍で5試合に登板するもワンポイントリリーフで1アウトも取れずに降板が2度、回またぎではあるものの1回を投げて7出塁を許すなど安定感のなさが目立った。2003年に変則的なフォームに変えたことで起用されるようになり、2005年にはリリーフとして40試合に登板した。2009年を最後に現役を引退。引退後は打撃投手を務めた

【テキトーポイント】
2003年からフォームを変えており、それ以前の話が全然掘り出せないので全体的にかなり雑になってます。フォームなんかわかるかぁ!
シュートは2003年からなのでいれてません。

 

沼田 浩

登板数0 

 同期の平松、黒木と共に「NHKトリオ」と呼ばれた一人。入団初年度にサイドスローに転向してクセ球とスライダーを操ってイースタンリーグでの最優秀防御率のタイトルを獲得。翌年から2年連続で4勝を挙げるも制球が定まらず安定した成績を上げることが出来ず、1999年は防御率9.82と厳しい数字を残したこともあって2000年は1軍登板なし。同年限りで戦力外通告を受けて退団した。

【テキトーポイント】
特になし。クセ球はナチュラルシュートで表現してます。

 

今井 圭吾

登板数0 

 ルーキーイヤーは2試合目にして完封勝利を挙げる活躍を見せて日本ハムの先発の柱として期待されたもののキャリアで勝利はそれだけ。制球難で1999年は僅か6登板16回2/3を投げて死球3つと試合を任せるには難しかったのか2000年以降は1軍登板がなく2002年に退団。現在は少年野球の監督を務めている。

【テキトーポイント&備考】
投球フォーム '97年のLOB%がメッチャいいので対ピンチBにしてます。

 

矢野 諭

登板数0 

 ルーキーイヤーは高卒ながら1軍に5先発をして2勝を挙げるなど今後の活躍に期待がかかったもののそのオフに両足首を故障。以後故障とフォームチェンジの失敗で長らく活躍が出来ず、2005年にリリーフとして25登板をしたものの定着とはならず2006年を最後に引退。

【テキトーポイント】
当時のフォームが不明。とりあえずサイドにしてます。対ランナーはフォームチェンジに苦心してた感を。

 

ラファエル・オレラーノ

登板数1 

 入団時24歳と育成目的で入団した左腕助っ人。しかし武器であるスライダーは通用せず、球速も飛びぬけたものではなく四球で出塁を許すことも多かった。3年目の2000年は左腕の不足からか契約こそ結んだものの1軍登板数は僅か1。しかも2つの四球と1被安打で1/3回しかイニングを食うことが出来ず、同年限りで退団となった。

【査定ポインツ】
義烈さんの査定パク参考にしました。ナックルカーブはそういうことです。

 

平松 省二

登板数0 

 入団初年度こそ20登板で41回2/3を投げてリリーフの一角を務めたものの翌年以降は泣かず飛ばず。2000年は1軍登板なしのまま現役を引退。日本ハムの打撃投手に転向した。

【テキトーポイント&備考】 

特になし。

 

シャノン・ウィッテム

登板数0 

 かつて日本ハムで活躍したグロスと同様の前評判で1999年に入団したものの防御率6.00近くと結果を残すことが出来なかった。翌年も契約を続行となったものの右ひじを故障したこともあり登板は0。同年限りで退団となった。

【テキトーポイント&備考】
おーるどるーきーさんをほぼ丸パクリ参考にしました。

 

遠藤 良平

登板数0 

 東京大学出身の左腕。当時東大歴代5位の8勝の実績でドラフト7位で入団。しかし球速は130km/h台前半と乏しく結果を残せなかったこともあり、翌年に1軍で2球投げたのみで戦力外通告。しかし出身大学が大学だけにそのまま球団職員として海外研修を経てフロント入り。2015年からはGM補佐を務めている。

【テキトーポイント】
情報が無に等しいのでかなり雑になってます。翌年に戦力外通告を受けているのもあってかなり弱く作ってます。

 

中西 有希人

登板数0 

 '95年にドラフト7位で入団するもファームで結果を出せずに1軍登板がないまま2000年を最後に現役を引退。

【テキトーポイント&備考】

投球フォームなど。奇跡的にファームの成績が部分的に見つかりましたが、情報が本当にない選手なのでどうしようもないです。

 

神島 崇

登板数0 

 アメリカのインディアンヒルズ短期大学出身という変わった経歴の持ち主。短大時代はリリーフとして活躍していた。しかしプロ入り後は2年目の終盤に1アウトだけ取ったのを最後に1軍登板はなく、そのまま2003年に現役を引退。國學院大學を経て現在は神職を務めている。

【テキトーポイント】
情報が無に等しいのでかなり雑になってます。奇跡的に使ってた球種が1つだけわかったのが救いです。