ベストナイン選手の公開の続きです。
今回は上田藤夫
ご尊顔
では能力
上田 藤夫
1937秋~1948年
【通算記録】
913試合 .237(3192打数755安打) 87二塁打 18三塁打 8本塁打 291打点
378得点 136盗塁(.---)
213三振 436四球 36死球 107犠打 6犠飛※ -併殺※ 出塁率.335 長打率.283 OPS.617
【キャリアハイ】1937年秋
40試合 .261(138打数36安打) 6二塁打 3三塁打 1本塁打 15打点 24得点 4盗塁(.---)
16三振 24四球 0死球 9犠打 -犠飛 -併殺 出塁率.370 長打率.370 OPS.740
※太字はリーグ1位の記録 盗塁成功率は盗塁死が記録されていない年があるため不明。同様に犠飛、併殺も記録がない年があるため正確な数字ではない。
初代ベストナインの一人であり、監督としての通産勝利数歴代4位の「勝負師」水原茂選手です。
極端に情報が少ない選手なのであまり書けない。
ハワイ準州*1生まれ。1937年にマウイ島のマウイ高校卒業後、ジミー堀尾の誘いで阪急軍に入団。堅実な守備で知られ、1938年9月24日の名古屋戦では遊撃手として1試合12補殺、1940年11月6日の巨人戦では1試合6併殺のプロ野球記録を打ち立てた。*2
第二次世界大戦の戦火が広がり、多くの日系外国人選手は帰国する一方で上田は日本国籍を取得し、日本に留まって1944年までプレーした。
戦後も阪急ブレーブスで活躍するも年齢的に厳しくなってきたこともあり、1948年で引退。引退後は審判員を務め、1967年まで勤め上げた。正確なジャッジに定評があり、特に二塁の塁審については歴代審判中随一とまで言われた。
査定について
基礎能力
打撃については当時の打低具合などを考慮して少し高めにつけた。が、統一球もドン引きのクソボールなので多分これでも足りない。パワーに関しては特殊能力の項も参照。
走力は三塁打、盗塁数から類推しB71に。
守備能力はオリックスバファローズの安達了一選手の2017年度の成績を元に査定。
安達選手よりも良くなかったものの走力を考慮して守備は安達選手よりも強めにつけた。一方で捕球は低めに。
特殊能力
盗塁B:盗塁数より。盗塁死は1942年以降記録されているものの殆ど参考にならないため成功率は考慮していない。
走塁C:三塁打も数多く打っているものの、本塁に帰ってくる割合が若干少ないので下方修正した。
バント○:絶妙のバントに定評があったため。
守備職人:守備に定評があった選手なので。なくても良かったかもしれない。
意外性:本塁打を打っているもののパワーCにするとなんか気持ち悪かったので意外性で対応。
画像ファイル
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