新人王キャンペーンの続きです。1955年パリーグ新人王の榎本喜八選手については2020で登場するラインドライブが不可欠なのであえて飛ばします。
ご尊顔
では能力。
秋山 登
1956~1967年
ポジション:投手 (外野手) 投打:右投右打
経歴:都留高校→全藤倉→大阪タイガース
【通算記録】
639登板(内278先発) 2993回0/3 2.60 勝率.530 193勝171敗
完投132 完封29 奪三振1896(率5.70) 四球854 死球83 四死球率2.82 暴投21 被本塁打215(率0.647) 被安打2468 失点1024 自責点864 WHIP1.11
【新人王シーズン】1956年
58登板(内35先発) 379回2/3 2.39 勝率.500 25勝25敗
完投26 完封7 奪三振266(率6.31) 四球136 死球19 四死球率3.67 暴投3 被本塁打24(率0.569) 被安打290 失点120 自責点101 WHIP1.12
「初代カミソリシュート」の秋山登選手です。
1956年に大洋ホエールズに入団。アンダースローからカーブに加えて「カミソリシュート」とも呼ばれた鋭いシュート、更には非常に速い速球で打者を打ち取る投手であり、1年目から主力選手として登板。
入団先の大洋ホエールズは当時弱小球団であり、他にめぼしい投手もいなかったことからか秋山に登板が集中。先発では26完投を果たし、リリーフでも23登板するなど投げまくって1年目でありながら379回2/3を投げたものの、味方打線が打率.208と非常に貧打*1であったことも相まって最多敗戦を記録した。
4年目までその状況はあまり変わらず、弱小大洋のエースとして1957年の最多奪三振を除いてタイトルとは無縁でありながらリーグ最多を数多く記録した。1960年には大洋ホエールズとしては唯一となるリーグ優勝と日本一に大きく貢献し、最優秀防御率や最高勝率も記録した。以降も大洋を支え続けたもののそれまでの酷使もあってか1965年から出場機会を減らして1967年を最後に引退。
引退後は大洋の首脳陣として関わり続けて1軍監督も務めた。
2000年8月12日、呼吸不全のため死去。
査定について
新人王キャンペーンなので1956年を参考にしています。
基礎能力
アンダースローで本当に150km/hも出していたら事件ですが、入団直後はめちゃ速い速球を投げたりしていたことやおさーるDATA BOXさんの記述から盛りました。
コントロールは翌年以降は改善していることや後年ですが非常に良かったみたいなのでかなり甘めに。
スタミナはその後の活躍も鑑みてめちゃ高めに。
変化球
カミソリシュートにカーブ、スライダー、ツーシームを確認。ただしスライダーやツーシームについては1年目で投げている可能性が非常に薄いのでシュートとカーブのみ採用。カミソリシュートはHシュートの速さにシュートの変化量で手を打ちました。
特殊能力
対左打者F:アンダースロー要素に加えてシュートが右打者に使っていたようなので。
ノビB:速球派だったようなので。
ケガしにくさA:3年で1100イニング投げて普通にその後も投げていることなどから。
クイックF:緩やかなフォームだったらしいので。
回復A:異常な投球回から。
リリース・球持ち○:アンダースロー要素。
内角攻め:カミソリシュート要素。
所感
当時としてはそこそこ程度の成績だったことからかなり厳しめな感じになっています。特に総変化。
シュートのキレやアンダースローなど特筆すべき点が色々ある選手ですが、一番は入団から4年間連続最多敗戦投手になりながらも300イニング以上を投げ続けたタフさが一番特筆すべき要素なんじゃないでしょうか。
画像ファイル
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