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【OB・パワプロ2022】武智 文雄(投手)【パワナンバー・画像ファイル】

 

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ご尊顔

 

 

では能力。

武智 文雄(1954年までは田中文雄
1950~1962年
ポジション:投手 投打:右投右打
経歴:旧制岐阜商業学校→大日本土木近鉄パールス近鉄バファロー(ズ)

 

【通算成績】

401登板(内253先発) 2015回0/3 2.97 勝率.422 100勝137敗 

完投98 完封19 奪三振773(率3.45) 四球381 死球28 四死球率1.83 暴投8 被本塁打120(率0.536) 被安打1952 失点836 自責点664 WHIP1.16

 

【キャリアハイ】1954年

47登板(内34先発) 307回1/3 2.16 勝率.634 26勝15敗 

完投23 完封2 奪三振132(率3.87) 四球41 死球3 四死球率1.29 暴投1 被本塁打14(率0.410) 被安打266 失点92 自責点73 WHIP1.00

 

 

創設から近鉄の暗黒時代を支えた主力投手、武智文雄選手です。

1950年に創設されたばかりの近鉄パールスに契約第一号として入団。2年目から主力投手として200イニング以上投げたものの創設当初の近鉄は非常に弱く、勝ち星に恵まれないでいた。1954年には打線がつながったことや自身もキャリアハイとなる防御率2.16を挙げる活躍で26勝で最多勝を記録。
翌年の1955年6月19日には89球でプロ野球史上2人目となる完全試合を達成。直球とシュートを上手く使いこなしての結果だった。同年8月30日に第一子である娘・美保が誕生し、それに奮闘したのか8回までパーフェクトをこなしたものの9回1死でヒットを打たれ2度目の完全試合とはならなかった。
1957年から成績を落として徐々に出場機会が減っていき、1962年を最後に引退。実働13年で9度の最下位を味わった。

引退後は近鉄の二軍コーチを務めて佐々木宏一郎を入団させ、アンダースローとして育て上げた。のちに佐々木は球団二人目の完全試合達成者となることに。その後は父親の経営するネクタイ会社に入団。ブランド名は「パーフェクト」

2013年7月1日心不全のため死去。

 

査定について

基本的に2018時代にした査定を元に作成。
球速を下げてアンダースロー要素としてリリース○を追加するなど基本的には強化しました。

 

 

 

画像ファイル

パワプロ2022で使用可能。

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