急にやってきたOB選手シリーズです。
ご尊顔
では能力。
堀本 律雄
1960~1965年
ポジション:投手 投打:右投右打
経歴:桃山学院高校→立教大学→日本通運浦和→読売ジャイアンツ→毎日大映オリオンズ&東京オリオンズ
【通算記録】
201登板(内116先発) 917回1/3 2.82 勝率.516 63勝59敗
完投42 完封9 奪三振515(率5.05) 四球293 死球16 四死球率3.03 暴投4 被本塁打78(率0.765) 被安打794 失点326 自責点287 WHIP1.18
【キャリアハイ】1960年
69登板(内35先発) 364回2/3 2.00 勝率.617 29勝23敗
完投26 完封3 奪三振210(率5.18) 四球89 死球8 四死球率2.27 暴投3
被本塁打22(率0.543) 被安打278 失点92 自責点81 WHIP1.01
日本通運浦和から読売ジャイアンツに入団。入団時から完成された選手でルーキーながら先発中継ぎ問わずに起用され、前年までの主戦投手が登板を減らした中で一人気を吐いてリーグトップの登板数、投球回、勝ち数、完投数を記録して新人王と共に沢村栄治賞も同時に獲得し、巨人のエースに。
しかしその無茶な起用が祟ってか翌年以降は満足な投球があまり出来ずに成績を落とし、当時の監督であった川上哲治と折り合いが合わなかったこともあり3年目のオフにオリオンズにトレード移籍。移籍1年目こそ主軸として200イニング近くを投げたものの翌年以降は成績を落として1965年を最後に引退。
引退後はコーチを歴任したあと解説者や評論家も務めた。
2012年1月14日死去。
査定について
酷使でパフォーマンスが大きく落ちた選手なので基本的に1960年の記録のみ参考にしています。
基礎能力
球速は不明。特に速い感じでもなさそうだったのでこのあたりに。
コントロールは内角攻めでありながら死球が特別多くないことから高めに。
スタミナは結構投げているのでA中盤にしました。
変化球
おさーるDATA BOXさんよりシュート、フォーク、カーブを確認。
Yahoo!知恵袋にある新聞記事?を見たところフォークの記述が無だったので武器だったはずのシュートを高めに。次に記述の多かったカーブの変化量を多くして、フォークは1に。
特殊能力
対ピンチB:LOB% 82.2 失点率が2点台前半と高い水準であることも考慮。
対左打者F:サイドスローであることに加えて武器のシュートを右打者の内角攻めに使ってたっぽいので。
打たれ強さE:登板数が多いこともありますが、良くも悪くも投球が若干不安定な感じがあったので。なかった方が良かったかもしれない。
リリース○:サイドスロー要素。あとシュートはナチュラルシュートだと考えられることも考慮。
球持ち○:おさーるDATA BOXさんより
内角攻め:してたらしいです。
野手能力
サヨナラ打を打っているのでサヨナラ男つけてます。
余談
沢村賞が発表されたので歴代の受賞者から知らない選手を選んで調べました。長期にわたって活躍している選手なら名前くらいは知ってることが多いのですが、そうじゃない場合はこういう酷使の末の短命選手が多いですね。
ちなみに権藤博選手の酷使を表した「権藤、権藤、雨、権藤」は堀本氏の発言をきっかけに生まれたもの。発言した本人も酷使で短命に終わっているという皮肉。
あとこれはガチの余談なんですが、名前が似てるので堀内恒夫選手とこんがらがることがママありました。
画像ファイル
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