3日前に甲子園で始球式を務めた選手の公開です。
ご尊顔
では能力
定岡 正二
1975年~1985年
ポジション:投手 投打:右投右打
【通算成績】
215登板(内120先発) 872回0/3 3.83 勝率.548 51勝 42敗 -H 3S
完投22 完封7 奪三振492(率5.08) 四球305 死球20 四死球率3.35 暴投9
被本塁打109(率1.125) 被安打882 失点427 自責点371 WHIP1.36
【1980年度成績】
28登板(内22先発) 149回1/3 2.54 勝率.529 9勝 8敗 -H 0S
完投5 完封1 奪三振96(率5.79) 四球50 死球2 四死球率3.13 暴投3
被本塁打17(率1.025) 被安126 失点55 自責点42 WHIP1.18
第100回全国高校野球選手権大会3日目の始球式を務め、読売巨人軍に所属していた定岡正二選手です。
高校三年生の夏、第56回全国高校野球選手権大会に出場。*1準々決勝では原辰徳が在籍していた東海大相模高校に15回の熱戦の末、勝利を挙げる。しかし、続く準決勝では3回途中に右手首を負傷し交代を余儀なくされチームは敗退。その実力と悲劇性、そして持ち前の甘いマスクで特に女子中高生から絶大な人気を得ていた。
1974年ドラフトにて読売ジャイアンツに入団。*2入団して5年間はほとんど二軍での生活で一軍に上がっても目ぼしい活躍はなかった。
しかし1980年にプロ入り初勝利を含む9勝、防御率2.54を記録し先発ローテーション入り。
翌年には阪神戦で初回先頭打者に二塁打を打たれたもののその後は最後まで阪神打線をシャットアウトし、完封勝ち。しかもその試合で許した四球はなく、阪神に所属していた小山正明以来プロ野球史上2度目の「スミ一安打無四球完封勝利」の準完全試合を達成し、日本一にも貢献した。
1982年には江川卓、西本聖と先発三本柱として活躍。現役最高となる15勝を挙げた。
1983年は春先は好調を維持していたものの持病の腰痛を発症。リリーフとの併用が続いたものの調子は戻らず芳しい成績は残せず、翌年も同様の状態が続いた。
1985年には他の先発選手の台頭もあり、リリーフとして活躍。しかしオフには近鉄へのトレード要員となったことを告げられるも「引退するときは巨人のユニフォームを脱ぐとき」として移籍を拒否。そのまま余力を残したまま29歳の若さで引退となった。
その後はスポーツキャスターとして活躍するも、とんねるずのバラエティ番組に登場し、準レギュラーとなったことを機にタレントとして活躍。とんねるずと一緒にCDシングルも出した。
現在でもラジオなどで野球解説などをしている。
査定について
1980年~1982年の成績あたりを元に査定しています。
基礎能力
球速はデータルームSpeedyさまより146km/hとのことだったのでそれを採用。
コントロールは四死球率より。ただし技巧派っぽいところがあったので少しだけ甘めにつけました。
スタミナは先発であったことからこのあたりに。完投数などを考慮するとAにするべきだと思うが、純粋に気持ち悪かったのでAに近いB79で調整した。
変化球
決め球はスライダーだったが、カットボールのような球だったとのことからカットボールに。
他にカーブ、パーム、シュートが持ち球だったが、見栄えを考慮したこととパーム持ちの選手が珍しかったのでカーブとパームを採用。
総変化は9で特に記述がなかったためカットボールを5、カーブ・パームを2ずつにした。カットボールは4の方が良かったかもしれない。
特殊能力
対ピンチC:ちょっとした補正。対ピンチ表の数字もある。
打たれ強さE:後述の調子極端でも表現したが、打たれるときはとことん打たれることが多かったため。
クイックF:全体的にゆったりしたフォームのため。Gにしようかとも考えたが、つけるのは憚られた。端的に言えば日和った。
球持ち○:球持ちのいいフォームだったとのことから。
リリース○:そういうフォームだったらしいので。正直そのままだと弱くなるので補正の面が大きい。
一発:被本塁打率より。キャリアハイだけでなく通算でもかなり打たれているので。
調子極端:打たれているときと完投するときでかなりハッキリわかれているので。
野手能力
1980年は全く打ててないものの、1982~1983年は2割付近の打率を残しているため。正直ここまでいらなかった気もする。送球Fは守備率より。
画像ファイル
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