リクエストです。超速で作った。
比較的メチャクチャデータある方なので作ります。 #peing #質問箱 https://t.co/kjLGQUsnCE
— 82 (@Morihine) 2018年8月10日
超速の理由は「なんか見たことある名前やなぁ…」ってなったので。それだけ。(でも結構重要だったりする)
ご尊顔
では能力
成田 文男
1965年~1982年
ポジション:投手 投打:右投右打
経歴:修徳高校→東京オリオンズ&ロッテオリオンズ→日本ハムファイターズ
【通算成績】
534登板(内354先発) 2781回0/3 3.20 勝率.576 175勝 129敗 -H 8S
完投135 完封32 奪三振1657(率5.36) 四球725 死球83 四死球率2.61 暴投29
被本塁打328(率1.061) 被安打2366 失点1107 自責点989 WHIP1.11
【キャリアハイ成績】1967年*1
55登板(内35先発) 272回2/3 2.11 勝率.467 14勝 16敗 -H -S
完投10 完封3 奪三振179(率5.91) 四球52 死球2 四死球率1.78 暴投5
被本塁打23(率0.759) 被安208 失点82 自責点64 WHIP0.95
オリオンズ、日本ハムに所属していた成田文男選手です。
1965年にオリオンズに入団。初年度は1軍でも殆ど投げなかったが、速いストレートと最高の武器となるスライダー(カットボール)で2年目から活躍。
3年目の1967年には防御率2.11と素晴らしい成績を残すも、援護がなく14勝16敗と負け越してしまう。しかし4年目の1968年から3年間は20勝以上を挙げ最多勝も獲得。木樽、小山と並んでオリオンズの三本柱として活躍。
そこに村田兆児が加わり四本柱として活躍。1974年にはロッテの日本一にも貢献。勝利の美酒を浴びた。*2
しかし1977年に肩を故障。その後肘も痛めたことにより登板機会がなくなり、1979年オフに日本ハムファイターズへ移籍。リリーフや途中から先発として活躍し、1981年にはリーグ優勝も果たすも日本シリーズ第四戦に登板し、敗戦投手となった。1982年を最後に引退。
引退後はスポーツ店経営ののち、サラリーマンに。2000年ごろには岐阜へ移住して喫茶店を経営しながら少年野球のコーチなどをし、野球の普及に務めた。
2011年4月21日に肝不全のため永眠。享年64歳の若さだった。
査定について
1967年の成績を中心に査定しています。
基礎能力
球速はわからなかったものの速いということ。またこちらのブログさまに「150km/hを超えてた」という記載があったのでそれを採用。
コントロールは1967年の四死球率を採用するとAだが、キャリアハイ候補の1973年やキャリア全体と比較するとそれぞれあまりにも差があるため色々考えた結果この数字に落ち着いた。
スタミナは投球回などを考慮した結果この数字に。
変化球
決め球はカットボール。おさーるDATA BOXさまより「縦のスライダー」の記述があったためVスライダーを採用。
シュートはあえて採用せずに他の場所で多く記載されていたスローカーブを採用。
スライダーを特徴的にするためにカットボール・Vスライダーを多めにし、スローカーブは1にした。
特殊能力
打たれ強さC:完投数を考慮して。
ノビC:「速いストレート」とのことだったので。Bにするには記載が少なかった。
クイックE:フォームを見る限りクイックが早くなりづらいと感じたので。
キレ○:カットボールのキレが良かったとのことから。
回またぎ○:ロングリリーフがそこそこあったため。
球速安定:おさーるDATA BOXさまより「常時145km/hのストレート」との記載があったので。
一発:被本塁打率。全体で見ると1.000を超えていることや他の能力との兼ね合い。
野手能力
普通に打棒を振るえる選手。1971年には1試合2本塁打を記録。内1本は満塁本塁打など非常に猛威を振るい、1969年には5本塁打も記録していることなどから野手能力は盛った。もっと盛っても良かったかもしれないが、投手ということで抑え目に。
走力は三塁打をそこそこ打っているので。
画像ファイル
パワプロ2018で使用可能。
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