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【OB・パワプロ2018】ラリー・レインズ(遊撃手)②【パワナンバー・画像ファイル】

今朝の続きです。

今回はドラフト用。

 

では能力

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ローレンス グレン ホープ "ラリー" レインズ

1953~1954

ポジション:遊撃手 三塁手 二塁手 (外野手) 投打:右投右打

経歴:シカゴ高校→阪急ブレーブスクリーブランド・インディアンス→阪急ブレーブス

 

NPB通算記録

330試合 .302(1267打数383安打)  65二塁打 25三塁打 31本塁打 172打点 209得点 114盗塁(.809) 

159三振 84四球 8死球 16犠打 6犠飛※ 22併殺 出塁率.348 長打率.466 OPS.814

 

【打撃キャリアハイ】1954年

137試合 .337(546打数184安打)  38二塁打 8三塁打 18本塁打 96打点 96得点 45盗塁(.882) 

60三振 25四球 6死球 7犠打 4犠飛 10併殺 出塁率.370 長打率.535 OPS.905

 

犠飛数は1954年からの記録であるため正確な通算記録は不明

  

「黒い稲妻」「黒いハヤブサ」と呼ばれた阪急屈指の助っ人外国人、ラリー・レインズ選手です。

1953年に来日。元はニグロリーグ*1で活躍した選手で走攻守の揃った遊撃手。足では盗塁王と16三塁打パリーグ記録)、打撃では開幕から20試合連続安打を放つなど初年度からその力強さを見せ付けた。

翌1954年にはNPBに適応したのか打率.337で首位打者を獲得し、安打数、二塁打数、得点、塁打数でリーグトップに輝くなど当時のトップレベルの選手として活躍した。

しかし来日時23歳の若さやジャッキー・ロビンソンらの懸命な努力もあってメジャーへの道を諦めきれずに1954年オフに帰国。マイナーリーグで2年ほど燻っていたものの1957年にメジャー昇格。打率は.262とそこそこの成績を出すものの自慢の足では活躍できずに翌年9打席無安打でマイナー降格。その後はメジャー昇格は出来なかった。

1962年に古巣の阪急ブレーブスNPBに復帰。しかし成績を残すことは出来ずにその年をもって契約打ち切りとなった。

なお、この再契約に関しては入団に必要な書類などをレインズ本人が偽造していたとされている。

1978年1月28日死去。

助っ人外国人で盗塁王を獲得したのはラリー・レインズとロベルト・バルボンの2人のみで非常に珍しい選手である。 

 

 

 

 

画像ファイル

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パワプロ2018で使用可能。

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*1:過去存在した黒人専用のプロリーグ