今日はエイプリルフールということで「嘘」みたいな記録を残した選手を紹介しています。
五人目は金田正一。
ご尊顔
では能力。
金田 正一
1950~1969年
ポジション:投手 投打:左投左打
経歴:名古屋電気学校→享栄商業高校→国鉄スワローズ→読売ジャイアンツ
【通算記録】
944登板(内569先発) 5526回2/3 2.34 勝率.573 400勝298敗
完投365 完封82 奪三振4490(率7.31) 四球1808 死球72 四死球率3.06 暴投55 被本塁打379(率0.617) 被安打4120 失点1706 自責点1434 WHIP1.07
【キャリアハイ】1958年
56登板(内31先発) 332回1/3 1.30 勝率.689 31勝14敗
完投22 完封11 奪三振311(率8.42) 四球60 死球3 四死球率1.71 暴投4 被本塁打16(率0.433) 被安打216 失点63 自責点48 WHIP0.83
1950年夏に享栄商業学校を中退して国鉄スワローズに入団。弱冠17歳でありながらも即戦力として期待され、積極的に起用された。初年度は急なプロ入りや制球が定まらなかったこともあってかあまり成績は振るわなかったものの8月入団で164回2/3を投げる活躍を見せた。
翌1951年からは弱小国鉄スワローズのエースとして活躍。1951年9月5日では18歳35日で史上最年少のノーヒットノーランを記録、1957年8月21日には左腕としてNPB唯一の完全試合を達成と国鉄に欠かせない大エースとして君臨し続けた。
1962年9月5日にはウォルター・ジョンソンの通算3508奪三振を更新して世界一*1記録保持者に。1963年6月30日には通算311勝を挙げて歴代勝利数1位となる。1964年まで14年間連続20勝・40登板を記録する。
しかし1964年オフに経営母体が変わることに反発してかB級10年選手制度*2を行使して読売ジャイアンツに移籍。それまでの大車輪の活躍が祟ってか左肘痛が悪化するなどし、この年をもって連続シーズン20勝記録は途絶え、徐々に成績を落としていった。1969年をもって400勝を区切りに引退。
引退後は解説者の傍らタレントとしても活躍。1973年から1978年はロッテの監督も務めて走りこみ重視の練習で投手を育成。1974年にはリーグ優勝*3と日本一に導いた。1988年に野球殿堂入り。
2019年10月6日に敗血症のため死去。享年86歳。晩年はプロ野球界の大物としてたびたびテレビなどに出演し「カネやん」の愛称で親しまれていた。
査定について
前回の査定から色々変えました。変えた部分のみ記述
基礎能力
コントロールは高めに修正。おそらく全体で計っていた四死球率を参考にしていたためかなり下方修正になっていた。
変化球
カットカーブとかいうのは無くしました。
ドロップとカーブを採用。総変化は12。
特殊能力
怪童:球速に関するエピソードに事欠かないのでつけましょう。
回またぎ○:回途中からの登板でも普通に投げていたので
緩急○:緩いドロップと直球のコンビネーションで打者を打ち取っていたため
抜いた特殊能力
重い球:剛速球だったという理由で入れていたのでゴチャゴチャしすぎないように抜きました。
根性○:つけてもいいと思いますが、ゴチャゴチャしすぎるので抜きました。
クロスファイヤー:いらない。
画像ファイル
パワプロ2018で使用可能。
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