松竹計画の続きです。
今回は松田友一。
ご尊顔はありません。
では能力。
松田 友一
1948~1950年
ポジション:投手 投打:右投右打
経歴:京都市立第一商業学校→全京都→大陽ロビンス&松竹ロビンス
【通算記録】1948~1949年
25登板(内14先発) 118回2/3 5.38 勝率.385 5勝8敗 -H -S
完投60 完封12 奪三振43(率3.26) 四球77 死球3 四死球率6.07 暴投2 被本塁打12(率0.910) 被安打137 失点91 自責点71 WHIP1.80
大陽ロビンスに所属していた松田友一選手です。
京都市立第一商業学校、全京都と京都に在籍していた選手で、京都を本拠地とする大陽ロビンスに入団。1年目は12イニングを投げるものの定まらないコントロールと球が軽いためか本塁打も打たれ、全く成績を残せなかった。
翌1949年は主だった投手が調子を崩したこともあり出場機会が増加。100イニング以上を投げてイニングを稼いだものの制球は定まらずに多くの出塁を許したこともありあまりチームには貢献できず、後半には出場機会が減っていった。1950年は登板はなくそのまま現役引退となってしまった。
査定について
成績くらいの情報しかないため完全に憶測で査定しています。また1950年に出場機会がなかったことなどからかなり弱く査定しています。
まず奪三振率がほかの選手と比べてそれなりにあることから球速はあると判断しそれなりに。ノビCもつけました。またノーコン投手であることが明白なのでコントロールも落としました。他、成績からつけられる赤特殊能力をつけました。球が軽そうと思ったのでつけようかなと思いましたが、つけました。
打撃成績はそれなりに。打者転向をしなかった理由がよくわかりませんが、パワーがなかったのだろうと思います。
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