松竹計画の続きです。
今回は千原雅生。
ご尊顔はありません。
では能力
千原 雅生
1949~1954年
経歴:大分商業学校→門司鉄道局大分→植良組→大陽ロビンス&松竹ロビンス→国鉄スワローズ
【通算記録】
382試合 .224(1078打数242安打) 24二塁打 4三塁打 4本塁打 82打点 95得点 12盗塁(.375)
116三振 56四球 5死球 27犠打 -犠飛 35併殺 出塁率.266 長打率.265 OPS.531
【1950年成績】※国鉄との合算
93試合 .238(319打数76安打) 5二塁打 3三塁打 3本塁打 31打点 33得点 2盗塁(.333)
43三振 24四球 2死球 4犠打 -犠飛 12併殺 出塁率.296 長打率.301 OPS.597
※は成績の残っていない年度もあるため正確な数字ではないもの。
1949年に大陽ロビンスに入団。しかし厚い選手層に阻まれて出場機会を得ることはできず、翌1950年には松竹ロビンスでは2試合のみの出場に終わり、シーズン途中で選手不足であった国鉄スワローズに移籍。同年に移籍した森谷良平と共に内野の守備に就いた。
以後、主に三塁手として出場するも1952年から打撃に陰りが見え始め、1954年を最後に現役を引退した。
査定について
1950~1951年の成績を参考に査定。
かなりの単打マンであまりにも長打が少なく、選手名鑑も「内野手としては体が固すぎる」と守備面でもあまり評価されていないのでこんな感じに。
内野安打○は単打が異常に多いため。
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