本日、始球式を務めた選手の公開です。
ご尊顔
では能力
金村 義明
1982年~1999年
ポジション:三塁手 一塁手 (捕手 二塁手) 投打:右投右打
経歴:報徳学園高校→近鉄バファローズ→中日ドラゴンズ→西武ライオンズ
【通算記録】
1262試合 .258(3643打数939安打) 158二塁打 18三塁打 127本塁打 487打点 466得点 34盗塁(.557)
752三振 430四球 25死球 73犠打 33犠飛 85併殺 出塁率.337 長打率.416 OPS.753
【キャリアハイ】1986年
130試合 .275(437打数120安打) 23二塁打 6三塁打 23本塁打 67打点 66得点 3盗塁(.750)
83三振 39四球 3死球 10犠打 4犠飛 10併殺 出塁率.335 長打率.513 OPS.848
※太字はリーグ一位
本日始球式を務めた近鉄バファローズの「いてまえ大将」金村義明選手です。
第63回全国高校野球選手権大会に出場。1回戦で盛岡工業、2回戦では横浜高校、3回戦は荒木大輔擁する早稲田実業、準々決勝で今治西高校、工藤公康擁する名古屋電気、そして決勝で京都商業を下し優勝を果たした。
当時は投手であり、全試合完投および4番として打ち大会通算打率.545の大会2位の記録を打ち立てる*1など投打で大活躍。しかし、勝利を挙げるたびにマウンドでガッツポーズをしていたため高野連から厳重注意を受けたりすることもあった。
1981年ドラフトにて近鉄バファローズと阪急ブレーブスから1位指名。競合の末、近鉄バファローズに入団する。入団直後に投手として大成できないことを察したために内野手へ転向。オープン戦で一度投げたきりプロでは投げていない。
1986年に1軍に定着。いてまえ打線の中軸として長打を放ち、「いてまえ大将」と呼ばれるように。その後も中軸として活躍する。
しかし1994年オフに中村紀洋の台頭やコーチの育成方針などにより、FAを行使。中日ドラゴンズに移籍。しかし故障などにより一軍出場があまりないまま西武ライオンズにトレードで放出。
西武では代打や一塁手、指名打者として活躍するも若手起用優先のチーム方針の煽りを受け、日本シリーズに進出したもののほとんど打席機会がなかった。1999年に現役を引退。
引退後は解説者や野球評論家として活躍。特に大阪方面ではよく見かける顔となっている。
査定について
前回のものと変更した点のみ書いています。
基礎能力
打撃関連が強すぎたため下方修正。
走力は盗塁や三塁打を考慮して上方修正し、D54に。
守備も強すぎたため下方修正。
特殊能力
三振: 三振数を見直したところ多かったため。
積極打法:死球の少なさを表現するために。三振をいれたことにより増加する三振数を抑える目的もある。
画像ファイル
パワプロ2018で使用可能。
画像ファイルの使用方法についてはこちらを参照してください。
その他の選手はこちら