引き続き2016リクエスト案件です。
ご尊顔
では能力。
池永 正明
1965~1970年
ポジション:投手 投打:右投右打
【通算記録】
238登板(内179先発) 1477回1/3 2.36 勝率.613 103勝65敗 -H -S
完投92 完封24 奪三振793(率4.83) 四球362 死球54 四死球率2.53 暴投11 被本塁打325(率0.536) 被安打1202 失点458 自責点388 WHIP1.06
【キャリアハイ】1967年
54登板(内40先発) 335回1/3 2.31 勝率.622 23勝14敗 -H -S
完投19 完封6 奪三振203(率5.45) 四球81 死球16 四死球率2.60 暴投3
被本塁打16(率0.429) 被安打300 失点102 自責点86 WHIP1.14
1965年に入団し、初年度から20勝を挙げ新人王に輝くなど恐ろしい働きを見せて肩を故障していた稲尾和久の代わりに田中勉と共にエースとして活躍。1967年には最多勝を獲得し5年目時点で99勝とこのまま行けば300勝射程圏内レベルの働きであった。
しかし1969年オフに「黒い霧事件」が明るみに。本人は実質的な関与は否定していた*1ものの1970年5月25日に永久追放処分となった。同じく永久追放処分となった選手らからは「自分たちと同じ処分が下るなど野球界にとって大きな損失」とまで言わしめた。
永久追放後は福岡でバーを営んでいたが、2001年から当時のチームメイトらが処分取り消しを求める署名活動などの運動を行い、2005年3月16日に野球協約が改正されたことにより同年4月25日に永久追放処分が解除、35年ぶりに復権した。2011年には九州放送でゲスト出演し、解説を担当した。
今年の7月に地元山口で全国高校野球選手権大会地区予選の開幕始球式を執り行った。
査定について
キャリアハイと思われる1967年を中心に査定しています。
基礎能力
球速は「速い」とあったものの本人らが「140km/hくらい」と称しているのを鑑みて142km/hにした。その代わりノビBにした。
コントロールが良かったこと、後述のように死球上等で投げていたことから死球を考慮しなかった結果、四死球率よりも大幅に上昇させた。
スタミナはそれっぽく。
変化球
おさーるDATA BOXさんなどから高速スライダー・シュート・ドロップを確認したのでそのように。
左右に揺さぶりをかけるような投げ方だったらしいのでスライダーとシュートを大きめにドロップは少なめにした。
特殊能力
対ピンチB:ピンチに動じない性格だったらしいので。
ケガしにくさC:このレベルだとBにしてもいいが実働が短いので抑え目に。
キレ○:変化球のキレが良かったらしいので。
内角攻め:死球上等の投球をしており、通算最多死球を持っている東尾選手は池永選手の投球を真似たとか真似てないとか。
緩急○:投球術が優れていたとの事から。
打球反応○:フィールディングが良かったとのことから。
野手能力
野手能力も優れていたため大幅に上げた。6番で起用されたり、「15勝程度の投手だったら打者転向させていた」まで言われていた。
俊足で盗塁成功率(5-0)で100%だったため盗塁Cに上げた。黒い霧事件がなければ大谷翔平の比較対象に十分なりえた逸材であった。
画像ファイル
パワプロ2018で使用可能。
画像ファイルの使用方法についてはこちらを参照してください。
その他の選手についてはこちらから!