こんな選手がいたんだ(*^○^*)シリーズです。
リクエスト案件でもあったと思います。
ご尊顔
では能力。
御園生 崇男
1936~1951年
ポジション:投手 投打:右投右打
【通算投手成績】
285登板(内196先発) 1708回0/3 2.39 勝率.645 127勝70敗
完投108 完封17 奪三振477(率2.51) 四球501 死球23 四死球率2.76 暴投11 被本塁打66(率0.348) 被安打1520 失点591 自責点454 WHIP1.18
【勝率10割シーズン】1937年秋
15登板(内14先発) 101回0/3 2.32 勝率1.000 11勝0敗
完投5 完封0 奪三振37(率3.30) 四球31 死球4 四死球率3.12 暴投0 被本塁打2(率0.178) 被安打88 失点32 自責点26 WHIP1.18
【通算成績】
831試合 .245(2062打数506安打) 67二塁打 18三塁打 5本塁打 247打点 209得点 87盗塁(.---)
147三振 258四球 4死球 39犠打 2犠飛※ 13併殺※ 出塁率.330 長打率.303 OPS.633
【キャリアハイ】1946年
85試合 .290(279打数81安打) 8二塁打 4三塁打 2本塁打 40打点 39得点 9盗塁(.600)
15三振 42四球 2死球 4犠打 -犠飛 -併殺 出塁率.387 長打率.369 OPS.756
※犠飛、併殺、盗塁死が記録されていない年度があるため通算成績は正確な数字ではない。
黎明期の阪神の勝ち星、御園生崇男選手です。
1936年に設立したばかりの大阪タイガースに入団。若林忠志、藤村富美男、景浦将と共に阪神の主力投手として活躍。投手としては「銀行家」と言われるほど大人しい性格から「野蛮」ともいわれる投球スタイル、特に内に切れ込むカミソリシュートで腕を鳴らし、野手としては俊足と選球眼を生かした二刀流選手として活躍した。
1937年の秋シーズンには11勝無敗*1で勝率1.000の絶対に破られない日本記録を樹立。当時の強力な阪神打線をバックに大きな援護点を貰うこともあって最終的に37年春から38年春まで18連勝と勝ちを奪い続けた。
政情悪化に伴って1940年は応召してシーズンを棒に振り、41年の復帰後も投手野手問わない起用をされ続けた。戦後もタイガースで投手野手併用で出場し続けて1951年に引退。
引退後は1軍コーチや二軍監督を歴任して西村一孔ら1950~60年代の主力投手を育て上げた。1965年7月10日死去。
査定について
今回はザックリと書きます。
投手としては「野蛮」ともあれば「球速はないが制球力を生かしたピッチング」ともあったのでどちらも採用。「野蛮」要素は内角攻めやオリジナル変化球で対応。球速はないとのことなので低めにして球速が速く見えたのだろうということでノビBにしました。大人しい性格だったとのことでポーカーフェイスを。勝ち運はいわずもがな。
野手能力は俊足巧打型。正直打率を残すよりは球を見て出塁するタイプなのでそういう感じにしました。
所感
資料が少ないのでメチャクチャ時間がかかったやつです。特に投手野手併用で出場にもムラがあるのでどういう感じの選手か把握しきれなかった部分が大きいです。
画像ファイル
パワプロ2018で使用可能。
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*1:ただしこの時代の勝ち投手の基準が結構曖昧で先発で4イニングしか投げていないのに勝ち投手になったり、逆にリリーフで5イニング投げても勝ち投手にならなかったりした。現在の基準だと多分10勝