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【OB・パワプロ2020】中島 治康(外野手)【パワナンバー・画像ファイル】

歴代タイトル獲得者シリーズです。

 

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ご尊顔。

 

では能力

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中島 治康

1936春~1951年

ポジション:外野手 (一塁手) 投打:右投右打

経歴:松本商業学校→早稲田大学→藤倉電線→東京巨人軍読売ジャイアンツ大洋ホエールズ

 

通算記録

871試合 .270(3296打数889安打)  146二塁打 44三塁打 57本塁打 493打点 397得点 103盗塁(.---) 
207三振 260四球 7死球 19犠打 9犠飛※ 6併殺※ 出塁率.324 長打率.393 OPS.717

 

【キャリアハイ】1938年秋

38試合 .361(155打数56安打)  7二塁打 2三塁打 10本塁打 38打点 30得点 3盗塁(.---) 
6三振 18四球 0死球 0犠打 -犠飛 -併殺 出塁率.428 長打率.626 OPS1.054 

 

※太字はリーグ1位の記録 盗塁成功率は盗塁死が記録されていない年があるため不明。同様に犠飛、併殺も記録がない年があるため正確な数字ではない。

 

初代「三冠王」の中島治康選手です。

1936年のリーグ開始時から巨人軍でプレイ。1936年7月15日に巨人軍第1号本塁打を放つと強打者として巨人軍の中核を担い、類まれなるパワーで長打を生み出して1938年秋には.361 10本 38打点でプロ野球史上初の三冠王となった*1

以後も巨人軍の中心選手として活躍していたものの応召により離脱。戦後も選手兼監督として読売ジャイアンツに所属した。

1950年から1951年までは大洋ホエールズに所属して同年限りで引退。引退後は野球記者としてアマチュア野球を取り上げ続けた。

 

査定について

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こちらから変更部分のみ記載。

基礎能力

前後年を見てミート、パワーを下げました。

同様に前後年を考えて走力を増加。

肩力はそこまで必要なさそうだったので下げました。

守備はかなり出来たようなので全体的に上げました。

特殊能力

広角打法:広角に打ち分ける打撃スタイルだったため。

威圧感削除:三冠王の箔としてつけていたが、別に威圧感とかなくても十分威圧感のある能力なので。

調子極端:波のある選手だったらしい。

エラー削除:つけてた理由が乏しかったので。

 

余談

1938年と他の年度でガラリとスタッツが違う選手だったので真面目に困りました。

1938年は前年から三塁打と盗塁が大きく減っている代わりに打率が大幅に向上しており、翌年に元に戻っているのでこの年に何かあったと思うんですが、何があったのか謎です。

 

 

 

画像ファイル

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パワプロ2020で使用可能。

画像ファイルの使用方法についてはこちらを参照してください

 

 

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*1:当時はその認識はなく、1965年に野村克也が戦後初の三冠王を達成した際に認識された